プロローグ

「キャアーッ!!」マンション中に女の叫び声が響いた。
バスルームに手首から大量の血を流している男がバスタブの中にいるのだ。

「ひろし!しっかりして!ひろし!」
懸命に呼びかける女の声を薄らいでいく意識の中で得感じ取った。
彼は鬱病。周りの人から見ればごく普通の青年なのだが、時たま、空を見つめたり、身体が意味もなく震えだしたりしているのを
不思議に感じ、心療内科に見てもらった結果だった。彼は愕然と安心の間で妙な苛立ちを感じていた。
救急車に積みおかれるまでの一部始終を猫の眼が見つめていた。

T.

「ミーン、ミン、ミン、ミー」「ミーン、ミン、ミン、ミー」5年前の夏
「暑いな、冷たいコーラでも飲もうか」
澤田 ひろし、グラフィックデザイナー、この業界には15歳から飛び込みたたき上げでここまでのし上がった人間である。
「そうね、私も冷たいコーラがいいわ」
高山 裕美子、彼女も同じくグラフィックデザイナーで、おっとりとして、石橋をたたいて歩くような性格。
この二人の違いは専門学校に裕美子は通い、卒業してからこの業界に入ってきたのに対し、ひろしの方は、
何も解らないまま体でおぼえてきたぐらいの違いであろう、この二人はいわゆる「社内恋愛」に燃え、もうすぐ結婚の日を向かえていた。

「新婚旅行、どこに行く?私はグアムやサイパンがいいなぁ〜」
「そお?俺は香港に行きたいね。おいしいものを食べて、ドッグレースを見て、スリリングな飛行機の着陸なんかいいと思うけどな」
「あら、高所恐怖症の人は誰だっけ?この間の遊園地で、メリーゴーランドに乗っただけで震えてたのは。」
「そりゃ、俺だけどさ、ビルとビルとの間を飛行機が縫うように飛んで、狭い滑走路を目指していく。男のロマンだなぁ〜」
「どこが、ロマンだか」
裕美子はひろしよりも年上で、はしゃぐひろしの話に、笑みを浮かべて聞いていた。

暑い夏の熱いカップルの話である。
「コーラも飲んだことだし、そろそろいこーぜ!今日は結婚衣裳の決める時間に遅れるぞ」

U.

現代社会において、鬱病は「心のかぜ」と言われているが、果たしてそうなのであろうか?
実際にテレビや雑誌等で鬱病に関しての情報が事細かに記されている。でも、話している人間は皆、健康な人間ばかりである。
戦後、世界に追いつけ追い越せの勢いで、今や経済大国となった日本。知っている人でいいが、昔、バブルがあった。
そのころは今と比べ、鬱病で悩む人間が少なかったと思うがいかがだろう?そう、バブルがはじけて、鬱病が増えた。
少なくとも、私はそうなった。中には「甘えた病」と言う人間もいる。そうなのかもしれない、が、違うとも思う。

「おい澤田!今日の3時納品のものは出来上がってるか!」
「ああ、当然出来上がってマスよ。その机の上においてあります。」
「よく、この納期でできあがったな。また、徹夜したんか?がんばるなぁ」
「そりゃ、僕も早く帰りたいですよ。でも、仕事は腐るほどあるし、残業代も大きいですからね。」
「そうか。スマンな。無理やったら言えよ。外注するから。」
「その外注先も徹夜じゃないんですか?」
「結局は、な。」

当時、澤田ひろし23才、15才から、この業界に飛び込んで早8年。年の割には、もう、ベテランである。
ベテランの割には年が若いので、基本給が安い。だから、夜な夜な徹夜をしては給料を稼いでいた。
当時セブン・スター1個・180円の時に手取りで40万円なのだから、無茶もするわけである。
もうひとつの理由に、子供のころは貧乏だったので欲しい物は何も買えず、指をくわえてみていただけの時代から、
早く逃げ出したかったのかも知れない。常にトップを目指し、外資系クレジットカードもすでに持っていた。

「手、空きましたけど、次の仕事はなんでしょう?」

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